2011年12月11日日曜日

「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」を広告的視点で読み解く

はじめまして、伊藤拓未と申します。
これから広告にまつわる色んな事を書いていこうと思います。

備忘録第1回目は、映画クレヨンしんちゃん「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」を広告的視点で観察することで、そこから“現代生活者の未来の開発のしかた”を読み解いてみうと思います。
(※毎回〇〇を広告的視点で~というフォーマットでやるわけではありません。今回はたまたまです。)



                        (配給/東宝)    ( 監督/原恵一)  (制作/テレビ朝日ADK・シンエイ動画)



映画クレヨンしんちゃん「嵐を呼ぶモーレツ!大人帝国の逆襲」とは、2001421日に公開された、劇場版クレしんシリーズの第9作目になります。

さっくりあらすじを言うと、ひろし・みさえをはじめとするクレしん世界の大人達はと20世紀博という、擬似的に昭和30年代を体験することができるテーマパークに夢中になっており、休日はそこに通いつめ、帰宅しても昔懐かしい特撮番組やアニメ番組を取りつかれたように見ていました。

ある晩、20世紀博を運営する秘密組織イエスタデイワンスモアより「明日お迎えにあがります」という放送が全国各地に配信され、それを見たひろし・みさえ達大人は洗脳されてしまい、見た目は大人のまま中身が子供に帰ってしまい、家族を捨て自分達の生きた過去を20世紀博で暮すため家を出てしまうのでした。

奪われた家族と未来を取り戻すべく、主人公しんのすけが組織に立ち向かうというのが映画の大まかな構成で、劇中後半にしんのすけがボロボロになりながら的組織のリーダー件に立ち向かっていくシーンは涙無しでは見れません。



ただこの作品、単純に家族愛を描いたエンタメ作品として消費することもできるのですが、視点を変えてみるとタイトルの通り広告的に面白い発見・考察ができます。「オトナ帝国の逆襲」は敵組織イエスタデイワンスモアVS野原一家の図式から「過去VS現代/未来」を連想してしまいがちですが、実は違った見方もできるのです。




というのも、劇中で20世紀博をつくった敵組織のリーダー(ケン)は、20世紀という過去に生きようとしていたように見えて実はそうではなく、過去(昭和30年代)をヒントに現在を変革し生きようとしていた可能性があるのです。つまり、過去の再現が目的ではなく、過去の要素を現代に取り入れる形で現代を再活性させようとしていたのでは、という解釈ができるのです。





この仮説は、「広告都市 東京」(ちくま学芸文庫)の著者である北田暁大(きただあきひろ)氏が唱えており、伊藤も「成程な、一理あるかも」といった感じです。どこに一理があるかというと基本的な満足度が高くて停滞しがちな社会を回転させるために、現実の過去をヒントに未来に実現したいユートピアを描く、これって現実的に良く行われる行為なんです。

明治維新や幕末にスポットライトを当てた作品が、なぜブームになるかを話すと分かり易いかもしれません。政治不信の中で、生活者の多くは「現政府を倒し社会に革命を~」のような、今の社会じゃ絶対にできない生き方に「憧れ」を投影し、作品を見た際にそうした気持ちが“ないものねだり”的に想起され、ついつい引き込まれていく、そうしたインサイトが生活者間にあるように思えます。

また、ここで断っておきたいのは、何も生活者は今の生活を放棄したいわけではないということです。便利で豊かな暮らしにある程度満足はしている、しかし社会を生きる上での「活力」に不足している…そこで「現代を生きる活力」として過去から都合の良い「ナニカ」を参照・抽出し、それを生活者に消費してもらい、また現代を生きてもらおうとする。こうした非常に広告的なお話が、「オトナ帝国」の劇中内でも展開されているのです。


 


同作品の監督である原恵一氏が、これを映画のコンセプトに据えたとは伊藤も思いません。「何げない日常を糧に未来を生きる、家族愛」などが、やはり映画としてしっくりきます。とはいえ、この名作から映画から学べることの一部に、こんなものもあっていいのではないでしょうか。


       

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