2011年12月20日火曜日

2011年、もう1度見返したくなったCM 6選+1


早いもので2011年もあとわずか、、、今年もあと10日ほどで終わってしまいます。

そこで今回は、2011年、僕が見て素敵だと思った広告・プロモーション動画を備忘録としてまとめていきたいと思います。(紹介させて頂く作品は日本のエージェンシーが制作したもので、且つ2011年に公開されたものとさせて頂きます。)





JRA(日本中央競馬会)
『最後の10完歩


JRAでは、ギャンブルというイメージが先行しがちな「競馬」というものに対するイメージ戦略として、10年ほど前より「ブランド広告」を展開しています。年毎に変わるJRAのブランド広告はとても美しいものが多く、伊藤も楽しみにしているのですが競走馬が走るときの躍動感、ジョッキーの騎乗姿勢の美しさ、、歴代CMの中でも最も美しく、最も完成度が高いのが本作ではないでしょうか。伊藤はギャンブルの類は全般苦手ですが、これを見ていると競馬を別な視点で見て見ようという気になります。ちなみに本作は、2001年に「最後の10完歩」と銘打って通年で展開されたCMを2011年のブランド広告用に再編集したものです。(博報堂)



富士急ハイランド 高飛車
『高飛車召喚』篇


「最後の10完歩」とはガラっとイメージを変えて、こちらは富士急ハイランドの2011年夏の新アトラクション『高飛車』のオープン告知CM。新アトラクションの周知・浸透に際し「どこまでエンターテイメントにできるか、どれほど目立てるか、どれだけ親近感をもってもらえるか」に挑戦した意欲作が本作とのことです。富士急ハイランドに足を運んだことのある方は分かると思いますが、この「分かりやすくボケにきてる感」がありながら、映像のクオリティがとても高いあたり、伊藤をはじめ生活者の多くが共有している“富士急ハイランドのコンセプト”をクリティカルに表現しているのではないかと思い、非常に好感を持てました。(電通/電通クリエーティブ)



NIKE JAPAN
「NEW BEGINNINGS」篇



「スポーツは困難を乗り越えるために精神を鍛え、最後のゲームがどれだけキツかったとしても、常に新たなスタートを与えてくれる素晴らしいもの」というメッセージが本作の企画骨子には据えられており、メッセージを象徴する様々な表現が作品内にちりばめられています。(ex冒頭で野球のホームプレートがゲーム前に白く塗り直されるシーン他、気になる方は2度3度と見返してみて下さい。)また、本作に出演するアスリートの多くが、このメッセージに強く・深く共感した上で出演しているそうで、ただネームバリューや発信力の強さからギャラを支払いキャスティングするのではなく、しっかりと主張に共感する出演者をキャスティングするからこそ、そのメッセージが説得力を携えたホンモノのなるのだということを、勝手に感じとってしまいました。そんな作品としての“強さ”を若輩ながら感じます。(NIKE JAPAN/ワイデン/ケネディ トウキョウ/BELIEVE MEDIA/21st City Century/BEAST/METHOD STUDIOS/CO3)








日清カップヌードル

「ヨーダ」篇 30秒




ニッポンが誇るパワーブランド日清と、超有名SF映画のコラボCM(2011年11月)。スター・ウォーズシリーズのヨーダが日本人に向けてエールを送るという内容で、日清担当者の「日本人のすべての方にエネルギーを沸かして欲しい」という想いから企画が生まれたそうです。誰もが知るリーダー企業、日清が発信するからこそメッセージに説得力が生まれ、誰もが口にするカップヌードルという生活に密着した商材だからこそ、人々にメッセージが強く刺さる、カップヌードルだからこそできる企画」を「カップヌードルが確信犯的にやった」あたり、本当にずるくて素晴らしい広告だと思います。音楽×映像×ストーリーとてもハイセンスです。おそらく企画は震災後の春先からあったはずですが、諸権利の問題や制作工数の問題で現実化が11月中ごろになったのではないでしょうか。何の根拠もない推測ですが。。。(電通/Neandertal/東北新社




NTTドコモ TOUCHWOOD SH-08C 
『森の木琴』


NTTドコモの携帯電話「TOUCH WOODケータイ」のプロモーション動画。森の斜面に44メートルにわたって並べられた巨大な木琴(檜の間伐材を利用)が、バッハの名曲「主よ、人の望みの喜びよ」を静かに奏でます。商材の「TOUCH WOOD」のテーマでもある“間伐材”にとにかく興味を持ってもらうという作品づくりで、間伐材づくりの木琴とボールによる演奏から、木の素晴らしさや楽しさ、美しさをストレートに表現し、作品を見た人は「木製であること」にポジティブなイメージを抱くのではないでしょうか。「え、なんの広告??」と見続けていった最後の最後に「あぁー、なるほどー」と心地よい溜息をつきたくなります。2011年カンヌ国際広告祭では日本勢最多・最高のトリプル受賞しています。(電通/ドリル)




JR九州(九州新幹線) 
THE 250KM WAVE



JR九州の九州新幹線全線開業キャンペーンCM「祝!九州縦断ウエーブ」。3月12日の開業に伴い、沿線や地元の人に九州新幹線を身近に感じてもらう狙いで放映したもので、2月20日に実施したCM撮影には、博多-鹿児島中央間の沿線居住者に参加を呼び掛け、途中駅ホームや車窓から見えるエリアに1万人以上を集め、このCMのために走行した新幹線車内から撮影しています。(企画サイドが、最初から100年に1度の伝説をつくるつもりで臨んだそうです。)







九州7県を“虹”に見立てて、祝祭感を前面に押し出したクリエイティブになっており、映像では住民一体となってウェーブをしていますが、構想時点ではウェーブではなくダンス案もあったそうです。ダンスも楽しそうですが、伊藤的にはウェーブの方が一体感があって好きです。「九州が新幹線でつながる」という点でも腑に落ちますし。


残念ながらCM公開前日の東日本大震災によって一時お蔵入りとなってしまったものの、映像はYouTubeにアップされ、消沈する日本にあって「元気をもらった」「今の日本に必要なCM」と、感動とともにあっというまに口コミで広がり、世界3大広告賞の一つカンヌで金賞を受賞しています。初めて見たとき、伊藤は泣きそうになりました。広告ではこんなことができる。広告の道に生きることが幸せに思える、そんなCMです。(電通/電通九州)



以上、「2011年、もう1度見返したくなったCM 6選」でした。あなたのお気に入りのCMはありましたか?もしこの中に無くとも、お気に入りの作品などあれば、その
表現だけでなくそれがどういった意図やメッセージ、コンセプトから落ちてきているのか、なぜ良いと感じたのか等を考えてみて下さい。きっとアレコレ考えるのは楽しいと思います。今回は6作品だけの紹介となってしまいましたが、機会があればCMに限らず、さまざまな作品を紹介(備忘録)していきたいと思います。



最後に、楽しいオマケCMを。



トヨタ ラクティス
THE WORLD'S BIGGEST UFO CATCHER



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2011年12月11日日曜日

「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」を広告的視点で読み解く

はじめまして、伊藤拓未と申します。
これから広告にまつわる色んな事を書いていこうと思います。

備忘録第1回目は、映画クレヨンしんちゃん「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」を広告的視点で観察することで、そこから“現代生活者の未来の開発のしかた”を読み解いてみうと思います。
(※毎回〇〇を広告的視点で~というフォーマットでやるわけではありません。今回はたまたまです。)



                        (配給/東宝)    ( 監督/原恵一)  (制作/テレビ朝日ADK・シンエイ動画)



映画クレヨンしんちゃん「嵐を呼ぶモーレツ!大人帝国の逆襲」とは、2001421日に公開された、劇場版クレしんシリーズの第9作目になります。

さっくりあらすじを言うと、ひろし・みさえをはじめとするクレしん世界の大人達はと20世紀博という、擬似的に昭和30年代を体験することができるテーマパークに夢中になっており、休日はそこに通いつめ、帰宅しても昔懐かしい特撮番組やアニメ番組を取りつかれたように見ていました。

ある晩、20世紀博を運営する秘密組織イエスタデイワンスモアより「明日お迎えにあがります」という放送が全国各地に配信され、それを見たひろし・みさえ達大人は洗脳されてしまい、見た目は大人のまま中身が子供に帰ってしまい、家族を捨て自分達の生きた過去を20世紀博で暮すため家を出てしまうのでした。

奪われた家族と未来を取り戻すべく、主人公しんのすけが組織に立ち向かうというのが映画の大まかな構成で、劇中後半にしんのすけがボロボロになりながら的組織のリーダー件に立ち向かっていくシーンは涙無しでは見れません。



ただこの作品、単純に家族愛を描いたエンタメ作品として消費することもできるのですが、視点を変えてみるとタイトルの通り広告的に面白い発見・考察ができます。「オトナ帝国の逆襲」は敵組織イエスタデイワンスモアVS野原一家の図式から「過去VS現代/未来」を連想してしまいがちですが、実は違った見方もできるのです。




というのも、劇中で20世紀博をつくった敵組織のリーダー(ケン)は、20世紀という過去に生きようとしていたように見えて実はそうではなく、過去(昭和30年代)をヒントに現在を変革し生きようとしていた可能性があるのです。つまり、過去の再現が目的ではなく、過去の要素を現代に取り入れる形で現代を再活性させようとしていたのでは、という解釈ができるのです。





この仮説は、「広告都市 東京」(ちくま学芸文庫)の著者である北田暁大(きただあきひろ)氏が唱えており、伊藤も「成程な、一理あるかも」といった感じです。どこに一理があるかというと基本的な満足度が高くて停滞しがちな社会を回転させるために、現実の過去をヒントに未来に実現したいユートピアを描く、これって現実的に良く行われる行為なんです。

明治維新や幕末にスポットライトを当てた作品が、なぜブームになるかを話すと分かり易いかもしれません。政治不信の中で、生活者の多くは「現政府を倒し社会に革命を~」のような、今の社会じゃ絶対にできない生き方に「憧れ」を投影し、作品を見た際にそうした気持ちが“ないものねだり”的に想起され、ついつい引き込まれていく、そうしたインサイトが生活者間にあるように思えます。

また、ここで断っておきたいのは、何も生活者は今の生活を放棄したいわけではないということです。便利で豊かな暮らしにある程度満足はしている、しかし社会を生きる上での「活力」に不足している…そこで「現代を生きる活力」として過去から都合の良い「ナニカ」を参照・抽出し、それを生活者に消費してもらい、また現代を生きてもらおうとする。こうした非常に広告的なお話が、「オトナ帝国」の劇中内でも展開されているのです。


 


同作品の監督である原恵一氏が、これを映画のコンセプトに据えたとは伊藤も思いません。「何げない日常を糧に未来を生きる、家族愛」などが、やはり映画としてしっくりきます。とはいえ、この名作から映画から学べることの一部に、こんなものもあっていいのではないでしょうか。